伝えていく

お盆を過ぎてから朝冷え込むようになり、海の波も高くなりました。
海育ちの父と母が、この時期は足を取られるから海に入るなと言っていたのを思い出します。



お墓参りに祖父母の話をしたのがきっかけで、母から祖父母の遺品の従軍記章、祖父の日記、手紙などを見せてもらいました。

080818-2


支那事変(日中戦争)中の祖父の日記。
元旦に部隊で酒が振舞われたこと、慰問に訪れた東京戸山学校音楽隊の演奏が素晴らしかったこと、祖母から祖父(当時はそれぞれ別に婚約者がいた)へ慰問の手紙が届いたこと、仲間との会話、戦地の匂い、食事の美味しさ。
私が教科書や映画を通して知っている戦争とは違う、戦地での日常が書かれていて驚きました。

祖父の達筆で読み取れない箇所もあるし、太平洋戦争の銃撃戦で祖父は肩を負傷し、日記が中断していますが、祖父の兄の満州引き揚げ、弟の戦死、弟の死を受け入れない母、祖母の婚約者の戦死、結婚に至るまでの祖父母の手紙のやり取り…
私が知っている祖父母の穏やかな姿からは想像できない、昭和の時代の中で精一杯生きる姿が胸に迫ってきます。


祖母が子供(私の母の弟)を宿したという手紙もありました。
医師から母子の命が保証できないからすぐに手術するよう言われながらも、あきらめきれずに時間が過ぎていきます。(その出産がきっかけで祖母は障害を持つようになる上、数年後その子は亡くなってしまう)

母が私に話してくれたことがあるし、祖母は毎日仏壇に手を合わせ、お供えを欠かさなかったのも覚えていますが、幼い私は一度も祖母に聞くことはできませんでした。
手紙を読んでいて、私の中にあった小さな断片がつながり、当時の祖母のところに飛んで行って肩を抱いてあげたいと思いました。


大好きな祖父母は亡くなりましたが、いつだって味方になってくれたこと、繋いだ手のぬくもりや一緒に寝てくれた布団の匂い、顔いっぱいの皺、私の中では少しも消えずに二人は生き続けています。
残念ながら私の子ども達はこの世で会うことができませんでしたが、祖父母の足跡を子ども達に伝えていきたいと思います。

家族4人

今まで過ごしやすかった東北も、今日はとうとう30度を超え、子ども達を連れて近くのプールへ!
この暑さと一緒に、今日は私達から1ヶ月遅れて夫が日本へ到着しました。



娘は父親に会えるのが嬉しくて嬉しくて、今朝は5時に目を覚まし、
「今パパはどこ?」と何回聞いたことか。
10回目くらいで、ああ父親がどこにいるかじゃなくて、父親が自分の元へ向かってることを確認したいんだ、と気づいた。
今はモンゴル上空か、などと現在位置を真面目に考えていたよ。


夕方、両手に荷物を抱えた父親の姿を認めるなり、体当たりで抱きつく娘。
しっかりしがみついて、きっと揺さぶっても引っ張っても落ちない!
1ヶ月間の不在を埋めるように、
「パパがいない間に、〜に言ったんだよ!」
「水の中に潜れるようになったの!」
「幼稚園に行ってたの。みんなからお手紙もらったんだよ。見て、見て!」
話しても話しても、足りないようだった。

息子は「パプァ!パプァ!パプァ!」と部屋中駆け回り、壁に追突してみる。
飾ってある父親の写真を得意げに指差して私に教え、畳の上にわざと転んでは自分の足の間から逆さまになって父親を覗いた。
これが1歳5ヶ月の彼なりの歓迎の仕方。




子ども達はお風呂、夕飯、寝る時までもずっと父親を独占したくて、そのまま3人で団子になって寝てしまい、今夜は夫と話す時間がなかった。

昔から不思議と夫と離れていても距離を感じない。
今回の日本滞在も毎日時間は普通に流れ、3人で普通に楽しく過ごしていたのだが、今夜はお茶碗が四つ、お箸も四膳…久々に家族4人で過ごせる幸せな気持ちが戻ってきた!




夫は初めて入国審査官から「おかえりなさい。」と言われたのが嬉しかったらしい。
日本に帰ってきたことを実感したそうです。

おかえりなさい!ようこそ日本へ。

帰国スパイラル

080722-3

梅雨とは名ばかりで、雨の降る日は数える程の日本。
今日はわたしが小さかった頃よく遊んでいた城跡へ子ども達と行ってみました。




今週は娘が七夕の飾りをつけた竹を背負って帰ってきました。
日本の集団生活に入っていけるかと心配していたのを笑ってしまうくらい、
日本の生活になじんでいます。
地元なまりの日本語を話し、同じクラスのとっても元気のいい友達が近所にできました。

そう、娘は日本生まれ日本育ち。
生まれ育った場所、ホームに帰ってきた訳だから楽しくて仕方がないのです。
勿論、私も!


久々の里帰りで逆カルチャーショックもあるのでは、と思っていましたが、
あまりにも日本の生活に慣れすぎて怖いぐらいの毎日。

というのは、うっかりすると
このまま日本で再就職しちゃおうかなんて考えてしまったり
住所をイタリアに移したのにもかかわらず、むかーし申請していた夫の日本永住権が
取れたのはこの国に呼ばれているってこと?と考えてしまったり

それなら住むのはこの辺りか、とか
子ども達の学校は、と以前の同僚に探りを入れたりとか

ええ、それはもう真剣に^^;帰国スパイラルに巻き込まれています。


せめて家族が障害になってこの妄想を止めてくれればいいのですが、
我が家の場合、夫も子ども達も日本大好き、
夫は特にイタリアより日本がずっとずーっと大好きなのです。

子どもが入学したら、さすがにどちらの国で生きていくか決めなくてはいけないでしょう。
その時、一つの選択肢を手放すことになりますが、きっと心のどこかで安心するのでしょうね。

海外在住の皆さんはいかがですか。



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